卒業生寄稿『カイシャ人の憂鬱』第三回

昨年度卒業生あさいし・こう(仮名) さん寄稿の『カイシャ人の憂鬱』第三回です。

イケメン好きの話から、自分の趣味と仕事との関係まで、西へ帰った「私」の思考は展開していく…。

*第一回はコチラ 第二回はコチラ

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第三回 イケメン好きの矜持

とは言え、
そんなカイシャにも時たま接待のようなものはある。

この、自分も連れて行かれた接待の場で、
これはよくあることであるが、弊社の会長が、その場でちょっとウケを取るためだけに、取引先相手に、私のことをややオーバーに紹介した。
「こいつ、これで、本当にイケメンに目がなくって、イケメンにしか興味ないから、イケメンだったらどんな性格でも貧乏でも構わない、イケメンだったらなんでもいいってくらい」
おそらく、私がブスの22年間彼氏ナシ喪女なのでこう言ったら面白いと思ったのであろうが、これは私にとって、酷い誹謗中傷・名誉毀損である。

いや、「そんなイケメンにしか興味ないわけ無いでしょ!!」

ということではない。
逆である。

イケメン好きだからこそ、「イケメンだったらなんでもいい」という程度のイケメン好きだと思われるのは非常に心外なのだ。

昔、『あたしンち』という漫画のネタで、

「ワイン好きの人にワインを贈らない方がいいように、本好きの人に本を贈るのは危険だからやめた方がいい」

といったものがあった。
これは、まさしくその通りで、つまるところ、

だって、

「食べ物だったらなんでもいい」

という人を“グルメ”と呼ぶか?
イケメン好きだったら、全てのイケメンをこよなく無差別に愛せるというのは誤った考え方、というか逆なのであり、
イケメン好きを名乗るからこそ、愛せる「イケメン」の条件にはむしろ人の何倍も細かく厳しくそして決して他人には理解不能の「その人だけの美学」(いわゆるこだわり)を加えた条件が付く。
このあたり、しばしば誤解されがちであるから何度も主張しているのだが、
「本好きの人に本を贈るのは危険だからやめた方がいい」
というたとえはつまり、
本が好きで詳しい人ほど、ヘタな本を贈れば気に食わないもしくは、「ああ、これ」と鼻で笑われる確率が、本が特に好きではない人に贈るよりも、何倍も高くなる
ということであって、これはおそらく何にでも当てはまる。
「イケメンならなんでもいい」なんて、とんでもない。

その意味で、
私は、特にイケメン好きではない人より、「好きなイケメン」の数は少なく範囲は狭いし、
本が特に好きではない人より、「好きな本」の数はかなり少なく範囲は狭小なはずだ。
特に何の秀でた才能もなく秀でた能力を伸ばす努力をするための能力や根性もなく、
かと言って人望に恵まれる事で承認欲求が満たされるわけでもないような人間が、しかし、それでも「自分は凡庸な周りとは違う、特別な人間なのだ」という凡百選民意識の最後に拠り所とするのは大概、

「自分だけの特別な感性」(類似例:センス、視点等)

である、という例に漏れず、私は私の私だけにしか理解できない「趣味の良さ」を本やそのほかコンテンツを選別する際の絶対指針としている。

これはまさしくもはや自分だけにしか理解出来ないすこぶる微妙なるものであり、
例えば、大まかに言えばファン層としては被りそうなものであっても、
穂村弘はダメだが中島らもは良い
くるりはダメだがナンバーガールは良い
「リリイ・シュシュのすべて」はダメだが「青い春」はいい
エトセトラエトセトラ

この場合のダメといいの違いはすなわち、「自分にとって、趣味が良いか悪いか」の差である。
よく言われる事であるが、
だから、こういう人間は、実は、趣味を仕事にしない方がいい、という。
完全に、自分の好きなものだけを取捨選択して仕事にできる人なんていないから(むしろ苦痛になることが多いの)だ。
というのは一般論として正しいが、しかし本当はそれだけではないのだ。

怒涛の最終回に続く)