卒業生寄稿『カイシャ人の憂鬱』第二回

昨年度卒業生あさいし・こう(仮名) さん寄稿の『カイシャ人の憂鬱』第二回です。

タクシーに乗車拒否された末にたどり着いた神戸のホテルで「私」が思う「カイシャ人らしさ」とは?

*第一回はコチラ

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第二回 カイシャ人たちのシャカイ

ここで、カイシャ人、というのは

私は「社会人」という言葉が嫌いで、あれは要は、「会社人」のことだけを「社会人」と呼びならわしているに過ぎない。

内定の決まった大学4年生は、Twitterのプロフィールなんかに自慢げに「春から社会人」と書く。
が、無い内定の学生はどうか?春から無職ないしはフリーターの場合、もしくは、そうでなくっても、じゃあ自営業のライターになる場合、「春から社会人」と書いて差し支えないか?

よく「社会人として」「社会人らしく」とかなんとかいうが、結局のところあれだって、「会社人として」「会社人らしく」の言い換えなのである。

でも、我々の住む社会は、会社人じゃない人によっても、構成されているはずだ、会社人以外を、「社会人」の仲間に入れないというのは、いかにも家父長制資本主義の洗脳……云々、という考えから、
決して、「社会人」という言葉を使わないことにしている。正しく、「会社人」という。

しかし職業上か会社上か、私はあまり会社人ぽくない。
会社人の制服、スーツは着なくてもよいどころか服装や格好に別に規定はないので、ユニクロのTシャツで行ったりなんかして学生時代と見た目は全く変わらない。
周りもスーツを着たおじさんなんかいない。
あまり外部と接触せず大体デスクでずっとパソコンをいじっているだけなので、礼儀やマナーや言葉遣いにさほど気遣う必要がなく、そのせいで態度や話し方も会社人ぽくなれない。
っていうか全くのノー研修のため、名刺の渡し方さえ教えてもらっていない。
あまり詳しく言うと差し支えがありそうだが、1年半もいたら「長い方」というくらい、人の入れ替わりが居酒屋バイト並にめちゃくちゃ激しくまた上司も20代と若く、自分のあとにもう10数人も入っているので、年上とも平気でタメ口で喋っていたりするしろくにサラダは取り分けない(←?)

4月頃、渋谷駅とかそのあたりで、やけに大人数で固まっていた、研修中と思しき黒リクルートスーツの新卒集団に私は、優越感と同時にしかし大変な恐怖と劣等感を抱いていた。
優越感と劣等感というアンビバレントな感情の所以は、
自分は集団行動だの縦社会だのが苦手なので、「あんな風に黒スーツ着て研修受けなくていいんだもんねー」というのはあるにせよ、
しかし彼らこそが、「正しい」、「会社人」のあるべき姿であり自分は一生ああなれないわけだ、という思いを捨てきれぬからである。
(私は今でも、受付嬢みたいなんがいるちゃんとしたビルの会社を歩いているスーツの人が怖い。)

第三話に続く)