教員エッセイ:書評『認知症・行方不明者1万人の衝撃―失われた人生・家族の苦悩』

共同通信社配信で『認知症・行方不明者1万人の衝撃―失われた人生・家族の苦悩』(NHK「認知症・行方不明者1万人」取材班、2015、幻冬舎)の書評を執筆しました。以下は配信されたものの「草稿」です。(井口)

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本書の元となった一連の報道番組は行方不明の認知症の人の数や実態を世に示し、実際に行方不明になっていた何人かの人の家族との再会の契機となった。そして、2014年にはNHKが報じたこの問題に他のメディアも注目することとなり、認知症700万人時代の到来予測が叫ばれる状況にある。本書では、丹念な取材に基づき、認知症の人の行方不明を経験した家族たちの苦悩の声、多くの行方不明や死の実態、また、そうした事態を生み出してしまう社会意識や行政機構のシステムの問題などが示されている。特に一連の報道で注目されたのは、行方不明問題を生み出すメカニズムの一つであり、また大きな負荷を家族に与える行政・司法システムの問題である。たとえば、行方不明情報は行政・警察において適切に共有されず、認知症の人の鉄道事故の責任は冷酷に家族に帰せられる。

たしかに「認知症・行方不明者1万人」報道は社会に衝撃を与えたが、どこか既視感がある。むしろ私には、この問題が「衝撃」として受け止められたこと自体が衝撃であった。なぜならば、本書でも触れられているように過去にも「徘徊」や行方不明は問題として報道され、見守りネットワークやGPSなど対策が考じられてきたからだ。もちろん家族も悩み、苦悩や経験の言葉を積み重ねてきた。そんな当事者たちの経験を経た今も、家族に向けた「家庭での対策」で本書は締めくくられる。医学や介護などの知識の深まりを踏まえたそのアドバイスは適切であろう。だが「危機感」や「強い衝撃」を梃子とした問題の喚起はどこまで継続するだろうか。たとえば震災後の日本社会を思い私はそんな風に感じてしまう。

本書が提起する問題は重要だ。だが、それは認知症になった理解困難な特別な人が引き起こす困った問題ではない。この本の先に、私たち自身も自由に「徘徊できる」ような社会のあり様を着実に考えていく必要がある。多くの人間は歩きまた老いていくのだから。