三成研究室(ジェンダー法学)

ゼミのイベント

三成ゼミでクレオパトラ展に行ってきました!(その2:感想)

三成研究室についての記事はこちら⇒http://bunka-nwu.info/?cat=6

(1)三成(みつなり)研究室

01三成研究室は、「ジェンダー法学」「ジェンダー史」「比較法文化論」を研究する研究室です。2014年度は、4年生5名、修士1年3名、修士2年2名が研究室に属しています。10月には、3年生5名、研究生(留学生)3名が加わる予定です。

三成が奈良女子大に着任したのは、2012年。2014年3月にはじめての卒論指導生が、全員無事卒業しました。うち2名は奈良女子大学の大学院に進学し、いまも三成研究室に属しています。

趣旨説明(みつなり)レジュメゼミのモットーは「楽しく、にぎやかに」。ゼミでは、全員が発言しなければなりません(お茶とお菓子をつまみながら、みんなでワイワイしゃべりますので、人前で話すのが苦手という人も心配無用です)。教員はゼミでは「裏方」、主役は学生・院生のみなさんです。いつのまにか、人前でしゃべったり、討論をするのが、快感になっているはずです。

ゼミでは、学年を超えた交流会(表会やバーベキューなど)を行います。また、美術館などへ学外研修に出かけます。

●三成ゼミの紹介(クリックすると拡大します)

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(2)ジェンダー法学とは?

「ジェンダー法学」とは、どのような学問領域なのでしょうか?

①成立

20140628シンポジウム(法の世界)ポスター

2014年6月28日 日本学術会議シンポジウム(法の世界とジェンダー)三成報告(ジェンダー法学教育)

「ジェンダー」という語が、日本の学問で用いられるようになったのは、1980年代末です。社会学が最初でした。1990年代初頭、スコット『ジェンダーと歴史学』の翻訳が出版されたころから、歴史学でもジェンダーという語が使われるようになります。法学では、岩波講座『現代の法』第11巻「ジェンダーと法」(1997年)が、法学の単行書としてはじめてジェンダーをタイトルに冠した例です。

日本にジェンダー研究が成立する前の1970年代末、アメリカから「女性学」が日本に導入されました。1983年、「法女性学」が誕生します。金城清子『法女性学のすすめ』が刊行されたことがきっかけでした。この書物は、女性差別撤廃条約の批准を強く主張していました。日本は、1985年に同条約を批准し、それとひきかえに男女雇用機会均等法が成立します。1980年代末から90年代にかけて、セクシュアル・ハラスメントやドメスティック・バイオレンス(DV)の法理論や判例が紹介され、レイプなどの性暴力被害についても新しい認識が深まっていきました。被害者の落ち度を責め立てる裁判のあり方が根本的に批判されるようになったのです。

②何を研究するか?

51HjDP42WyL__BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,TopRight,35,-76_AA300_SH20_OU09_ジェンダー法学の研究対象は、憲法・民法・刑法・労働法・社会福祉法など、法分野のすべてに及びます。
1999年、男女共同参画社会基本法が成立しました。「男女共同参画」の公式英訳(内閣府)は「ジェンダー平等」です。同法にもとづいて、5年ごとに、政府は「男女共同参画基本計画」を策定する義務を負っています。その担当部署として、内閣府に男女共同参画局が設置されています。
男女共同参画基本法の考え方に即して、DV防止法(2001年)・児童虐待防止法(2000年)・ストーカー規制法(2000年)・高齢者虐待防止法(2005年)など、新しいタイプの法が次々と生まれました。夫婦や親子などの親密な関係で日常的に暴力が起こっていることが知られるようになった結果、「法は家庭に入らず」という従来の原則が見直されたのです。

21世紀を迎え、ジェンダー関連の学会が次々と生まれました。日本ジェンダー学会、ジェンダー史学会(2003年)、ジェンダー法学会(2003年)などです。ジェンダー法学会の成立により、日本ではジェンダー法学が確立したと言えます。

③国際社会との協調

女性差別撤廃条約は、今日でも女性やジェンダーに関わるもっとも基本的な国際条約です。同条約の批准国は、世界190余カ国のうち、180カ国以上に及びます。日本もまた同条約を批准しています。
女性差別撤廃条約の批准国は、定期的に政府レポートを提出し、国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)の審議を受けなければなりません。これまでに、日本は6回、レポートを提出し、4回の審議を受けています(審議回数が少ないのは、複数回のレポートが併合審議とされたためです)。CEDAWは、各国から選ばれた23名の委員により構成されています。審議の後、CEDAWは「総括所見」として、各政府に勧告をだします。日本も多くの勧告を出されており、これらの勧告もふまえて、法改正が進められています。

(3)ジェンダー史とは?

ジェンダー史とは、歴史学をジェンダー視点から読み替えることをめざす歴史学です。
詳しくは、比較ジェンダー史研究会のHPをご覧ください。
http://ch-gender.sakura.ne.jp/wp/

20140727公開シンポジウム(合評会)

2014年7月27日公開シンポジウム(於:奈良女子大)

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『ジェンダーから見た世界史』2014年

三成美保・姫岡とし子・小浜正子編『ジェンダーから見た世界史』大月書店、2014年5月

高校世界史教科書の章立てに即して、ジェンダー視点から世界史を読み直すことをめざした本です。
左に本文、右に資料・図版を掲載し、読みやすくなるよう配慮しました。

(4)比較法文化論とは?

41YA0BX8CHL__SL500_AA300_比較法文化論とは、法文化を比較する学問領域です。法には、文字に書かれた法(成文法)と口承で伝えられる法(不文法・慣習法)があります。日本国憲法など、現在の日本に存在する法律は、すべて国会での審議を経て成立した「制定法」(成文法の1つ)です。しかし、歴史的に見ると、江戸時代までの日本は、法律専門職(法曹)が存在しない社会であり(奉行は法律家ではなく、行政マンです)、多くの慣習法によって社会が動いていました。

明治を迎えて、日本は国家ぐるみで急速に「近代化」を進めます。このとき、ヨーロッパから西洋近代法を取り入れました。これを「法の継受」と呼びます。西洋近代法は、古代ローマ法の伝統をうけつぎ、「権利」主体の法でした。ところが、当時の日本には「権利」という言葉も概念も存在しなかったのです。明治政府の命令でフランス諸法典(フランス諸法典は19世紀初頭にナポレオンが編纂させたものですが、当時のヨーロッパでもっとも体系的で先進的な法でした)の翻訳を担当した箕作麟祥は、必死で考えました。その結果、漢学者の知恵を借りながら、万国公法(国際法)の中国語訳も参考にして、「権利」という言葉を「造語」したのです。こうして、日本に「権利」という用語が生まれました。当然、日本社会の伝統的な法観念とは、多くの点で緊張が生まれることになります。とくに、市民革命であるフランス革命の精神を反映したフランス民法典は「自由・平等」を理念としており、日本の「国体」(天皇制国家)にあわないという批判が猛然と高まりました。これが、民法典論争です。論争の結果、日本は、法典モデルをフランス法からドイツ法へと転換します。ドイツ民法とフランス民法は、その根っこを古代ローマ法(ローマ法大全)に持つので多くの点で共通するのですが、ドイツの近代民法学は、フランス革命批判・ナポレオン批判をベースにする学派(歴史法学派)を主流として出発しており、高度の学問性を追求するものでした。非政治的かつ学問的であり、法律専門職にか理解できない専門用語を用いるドイツ法学は、国民(臣民)に「権利」を自覚させたくない明治政府の方針とも符号したのです。このような歴史的経緯は、今もなお、日本人の法意識に大きな影響を及ぼしています。

51Bk5b7IrSL._SL500_AA300_以上のように、各国の法文化はけっして孤立して育まれるものではありません。それは、歴史のなかで互いに強い影響を与えあって形成されていくのです。ここに比較法文化論を研究する意義があります。「ジェンダー法史学」「ジェンダー比較法文化論」がめざしているのは、これらの問題をジェンダー視点で検討することです。