バングラデシュ研修体験記

掲載:2015.11.05  執筆:人間文化研究科 生活文化学専攻 M1 春田美沙子

バングラデシュ研修

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ダッカ市内にて

9月6日から15日まで、奈良女子大学アジア・ジェンダー文化学研究センターのバングラデシュ研修に参加しました。

皆さんは「バングラデシュ」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
人が多い?暑そう?日本と似た国旗を持つ国?…どれも正解です!

私は“人が多い”というイメージをとても強く持っていました。バングラデシュの人口は世界10位以内にランクインするほどですし、実際現地に行っても実感しました。例えば、ダッカ空港から一歩出ると柵にたくさんの人が群がっていたり、市内を走っている車やバスの中も多くの人が “押し込まれている”ような状態でした。
また私たち外国人が大変珍しいのか、少し道を歩くだけでも老若男女問わず多くの人が私たちの近くに集まってきます。“人が多い”ということに加え、人が一気にたくさん集まってくるということも特徴的だと個人的に感じました。

調査テーマは「歯磨き習慣」

そして、この研修に参加するにあたって私を含めた学生4名は個々に調査テーマを決め、現地で聞き取り調査や施設見学を行いました。国内外のNGOの活動がとても盛んなことがバングラデシュの特徴の一つでもありますが、今回の研修も現地のNGOであるGUP(Gono Unnayan Prochesta)のサポートを受け調査をしました。
私はバングラデシュの「歯磨き習慣」を調査課題にしました。このテーマにした理由は、日本近代の口腔衛生や審美歯科が私の修士論文の研究課題であり、海外の口腔衛生にも関心があったからです。

結論から言いますと、私の調査したラジョール村の多くの人たちは私たちと同じような柄がプラスチック製の歯ブラシ、ペースト状の歯磨き粉を使用して毎日歯を磨いているようです。しかし中には、木や指で歯を磨いている人もいました。“木で歯を磨く”と言っても想像がつかない人が多いと思いますが、実は日本でも江戸時代、「房楊枝」といった木を房状にしたもので歯を磨いていたのです。時代は違えど、バングラデシュと日本に歯にまつわる共通点を見つけることができました。

また現地の歯科医によると、バングラデシュの人々はまだまだ歯の健康に対する関心が薄いそうです。そのため一般的なタバコやパーンといった噛みタバコを好む人が多いと伺いました。現在は小学校でも週一時間「衛生」に関する授業があり、その中で歯磨き習慣について教育するそうですが、口腔ケアだけではなく煙草などによる身体、口腔内に及ぼす危険性もしっかりと教育する必要があるのではないかと思いました。

今回の研修ではバングラデシュのほんの一部の地域しか訪れることが出来ませんでしたが、文化の違いや共通点を直に発見することが出来ました。普段私たちは様々なメディアから外国の情報やイメージを得ることが多いですがそれは画一的なものであり、自分なりの国の見方やイメージを作りだすには、現地に足を踏み入れることが大切だと再認識しました。

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GUP(現地のNGO)の歓迎会にて この少女は踊りを披露してくれました。

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ラジョール村にて 少し道を歩くだけでもたくさん人が集まります。

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歯ブラシで歯を磨く女性

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ラジョール村にて 少し道を歩くだけでもたくさん人が集まります。(2)

 【参考】バングラデシュの歴史(概要)

Bangladesh on the globe (Asia centered).svgバングラデシュはベンガル地方の東に位置し、紀元前10世紀頃にはドラヴィダ語族の言語を話す人々が居住していた。紀元前4世紀のマウリヤ朝から6世紀のグプタ朝まで数々の王朝の属領として支配された。
8世紀の中葉に、仏教王朝のパーラ朝が成立した。世界遺産のパハールプルの仏教寺院遺跡群はこの時代のものである。しかし、12世紀にヒンドゥー教のセーナ朝にとって代わられ、この頃からイスラーム化が進んだ。
16世紀にはムガール帝国のもとで、商工業の中心地へと発展した。ヨーロッパから貿易商人も多数訪れるようになった。1612年、皇帝ジャハーンギールの下で、チッタゴンを除きムガル帝国の統治下に入った。1707年に皇帝アウラングゼーブが亡くなると、この地方のナワーブ(太守)は独立の動きを強めた。1757年のプラッシーの戦いを経て、イギリス東インド会社が、徴税権(1765年)、行政権(1793年)を獲得して、ベンガル地方を含むインド全域が完全にイギリスの植民地となった。イギリスの統治期間中、ベンガルは何度も深刻な飢饉に襲われ、膨大な人命が失われた。
1857年のインド大反乱ののち、1877年にイギリス領インド帝国が成立した。1905年のベンガル分割令およびその撤回(1911年)を経て,1947年にベンガル地方は、イギリスから独立した。宗教上の問題から、ヒンドゥー教地域はインド、イスラム教地域はインドをはさんで東西に分かれたパキスタンとして分離独立することになった。
パキスタンの成立により、現在のバングラデシュは東パキスタンとなった。しかし、言語の違い(西パキスタンはウルドゥー語/東パキスタンはベンガル語)や、西側に偏った政策などから東西パキスタンは対立し、東パキスタンは独立を求めて西パキスタン(現パキスタン)と内乱になった。
西パキスタンと対立していたインドは東パキスタンの独立を支持し、また第三次印パ戦争がインドの勝利で終わった結果、バングラデシュ独立戦争を経て1971年にバングラデシュの独立が確定した。独立後はクーデターによる政権転覆を経験したが、1990年以降は複数政党制に基づき民主的な選挙で選出された政府が統治している。

Physisch-politische Karte von Bangladesch